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コラム

【第2章】 成長期 1965年~

健康機器メーカーとして

疲れた体を癒してくれるマッサージチェアが次第に評判を呼び、銭湯や旅館に置いてあるマッサージチェアを見たお客様から「ウチで売らせてほしい」といった問い合わせが多くなってきました。

そこで、銭湯や旅館などへの販売がメインだったものに、業者を通じた卸での営業も加えることにし、製造に重点を置いた「メーカー」として進んでいく決意を新たにします。

1965年、本社・工場を大阪市住吉区杉本町に移転し「株式会社フジ医療器」が誕生しました。

(写真左)杉本町に移転した 当時の生産ライン(写真右)銭湯や旅館に普及した 1965年発売のA-1

(写真左)杉本町に移転した当時の生産ライン
(写真右)銭湯や旅館に普及した 1965年発売のA-1

トラックに載せて全国へ

1970年代は、フジ医療器の社名と商品が全国津々浦々まで広がっていく拡充期に突入します。

青いカラーリングに白のラインが目を引くピックアップトラックにマッサージチェアを山積みし、営業担当は東へ西へ。この“トラックセール”と名付けられた販売方法で、地元大阪だけでなく全国へと販路を拡大していきます。

雪の積もる岐阜県の温泉地を巡り、売り切ったら大阪の本社へ戻り、商品を積んでそのまま九州まで売りに行くこともあったようです。

1970年以降にマッサージチェアが家庭へと普及し始めます。当時、経済成長により個人でも高額な商品を購入できる富裕層が誕生し始めたこともあり、銭湯や温泉場などでマッサージチェアを気に入ったお客様から「自宅にも置きたい」という声が増えたからです。

そこで、応接間にも置きやすいよう、インテリアデザインにも配慮した商品を開発していきます。家族に愛されて欲しいとの思いで、主力商品には「かあさん」と名づけました。

(写真左)マッサージ器を山積みし、 営業マンは東へ西へ(写真右)かあさん FB-302

(写真左)マッサージ器を山積みしたトラックで東へ西へ
(写真右)かあさん FB-302

堺工場を新設

当時、マッサージチェアを一日に20~25台生産し、出来上がったすぐそばから市場に売れていく日々が続きました。

銭湯や温泉場向けに加えて、今後ますます家庭向けのマッサージチェアの需要が増えていくことが見込まれたため、工場での生産能力を大きくする決断をします。

1971年には、大阪府堺市深井町に堺工場を新設しました。一日に150台の生産台数を目標に、110名もの作業員を用意して、これまでにない万全な体制で操業を開始しました。

(写真左)大阪府堺市深井町に堺工場を新設(写真右)万全な体制で操業を開始

(写真左)大阪府堺市深井町に堺工場を新設
(写真右)万全な体制で操業を開始